2026/03/20 22:20
17日から春の彼岸となり、個人的には来客や墓参り、初彼岸の親戚の家の訪問などで予定が詰まっている。
今日も夕方帰宅してようやく落ち着いたところ。
そんな中、買い物や石の存在について考え事を以下に。
この手元にある一石のために、どれだけたくさんの石が採掘されているのだろうと考える。
世の中には無数の石があり、希少で高価な石を手にする方もいれば、小さくても個性豊かな石を愛でる方もいる。
一方で、誰の手元にたどり着くことなく、眠っていたり、棚に置かれたままの石もある。
時間がかかっても、持ち主が見つかれば、それもまたよしとも思う。
オーダーで自分のために特別に作ってもらった作品もあれば、量販店に並ぶ大量生産の品物もありますが、食品やプラスチック製の日用品等と比べて、石は圧倒的に保存が利くものですから、地中に眠っていた石が陽の目を見て、旅をし始め、ある意味では人と同じように時間と経験を積んだような感覚にもなるかなとも思う。
かなり強引かもしれませんが。
今持っている石やジュエリーは、自分が管理できなくなったら終わりなのか?
そこまでのものなのか。
向き合うには心の準備が必要な話題もあります。
どこかでやむなく手放す瞬間、または、何かのきっかけで所有者を失う石の存在は必ずある。
ここには別の文章を挟んでいましたが割愛w
趣味嗜好に寄せる思いは様々で、知識のあるなしに関わらず、比較することの出来ない感性や価値観の世界は、まずは自分自身が、買い物という行為やモノそのものに意味や価値を与えられるかということも大切ではないかと考えたりする。
今手元にあるのは紛れもなく自分だけの石ですし、あなた自身の石。
納得して買い物したことを評価し、これから先、新たに手に入れるにしても、今より良い買い物が出来ればよいとも思う。
はじめから買い物がうまい人なんていない。
買い物の上手い下手の基準も曖昧ですから、自分なりのスタンスで付き合えたらよいと考える。
好きなもののために費やした時間や労力、費用については、自分自身が反省することはあっても、誰かがその都度評価するものではないので、まさに自分との戦いなんて言葉は、そういうことも含みでのことなんだなと思う。
石禁は概念、と、いつ誰が言った言葉かはわかりませんが、そういう曖昧、抽象的な言葉には個々の思いがたくさん詰め込まれているものなんだなと。
その言葉を見てイメージすることはバラバラなので、無理に擦り合わせる必要はないと思ったり。
言葉に翻弄されず、比較することなく、まずは自分。
ひとりひとりが、自分の趣味嗜好を長く楽しめる世界を願うばかりです。
